
- 映画『ドリアン・グレイの肖像(1945)』のデータ
- 映画『ドリアン・グレイの肖像(1945)』のあらすじ
- 映画『ドリアン・グレイの肖像(1945)』の予告編
- 映画『ドリアン・グレイの肖像(1945)』の感想
映画『ドリアン・グレイの肖像(1945)』のデータ
題名 ドリアン・グレイの肖像 (The Picture of Dorian Gray)
監督 アルバート・ルーウィン
出演 ジョージ・サンダース、ハード・ハットフィールド、ドナ・リード、アンジェラ・ランズベリー、ピーター・ローフォード
上映時間 110分
制作年 1945年
制作国 アメリカ
映画『ドリアン・グレイの肖像(1945)』のあらすじ
若き美貌の青年ドリアンは友人の画家に自分の肖像画を描いてもらう。しかし「人生で一番大事なのは若さだ。二度と戻らない若いうちに、欲望の赴くままに生きるべきだ」という哲学に傾倒し、エジプトの神に永遠の若さを望む。
程なく酒場の歌手に恋をするドリアンだったが、ゲームのように彼女を試して翻弄し、彼女を死に追いやってしまう。すると肖像画の自分の顔が冷酷な微笑を称えていた。
自分の代わりに肖像画の方が人生の責任を肩代わりしてくれることとなったドリアン。彼の冷酷さは拍車がかかり、それと共に肖像画が醜く変貌していく、という話。
映画『ドリアン・グレイの肖像(1945)』の予告編
映画『ドリアン・グレイの肖像(1945)』の感想
自分の人生が自分に復讐してくるという、オスカー・ワイルドの超有名な小説『ドリアン・グレイの肖像』の映画化。
何度も映画化されていて、私は1945年版と1970年版を見ているし、原作も読んだ。
原作は短いのに割と退屈で、読み終わるのに10日間もかかってしまったけれど、映画はそんなことはなくて、かなりいい出来だと思う。
どうして原作はそんなに時間がかかったかというと、ヘンリー卿が何を言ってるのか皆目わからなくて、読むのがつらかったから。
主人公ドリアンに大変な悪影響を与えるヘンリー卿は、とにかくやたらと理屈っぽくて、それも逆説的で皮肉屋で、口にする言葉が全てひねくれたことばかり。
物事をまっすぐ見ず、斜めから見たり、裏側から見たり、裏返したりして、したり顔で物を言って、なんでもお見通し、真実を知っている気になっている男。
その彼が、原作全編を通してずーーーーーーっと喋ってる。訳の分からないことを延々と。
ストーリー自体は簡単な話なのに、このヘンリー卿の小理屈のせいで、ドリアンの悲劇に集中できない。
でも映画は問題のヘンリー卿のシーンを大幅に省略して、ストーリーに焦点を当ててくれているので、見ていてつらいなんてことはない。
監督や脚本家は明らかにヘンリー卿の出番を減らしているので、きっと彼らもヘンリー卿がうざかったんだろう。
原作でも映画でも共通しているのは、ドリアンは自分の人生の責任を ”自分の肖像画” という他者に丸投げしてしまうが、最後にこれらがまとめて一気に自分にのしかかってきて破滅するという展開。
これはその時その時の現実をきちんと自分で受け止めていかないと、結局は最後に自分に復讐しに来るよ、という教訓だと思う。
美容整形しかり、他責思考しかり、引きこもりなども含めて、自分の現実から目をそむけちゃいけないよ、ということだろうと。
それから、原作を読んだうえで映画を見ると余計に思うのは、誰が邪悪で悪魔だったかって、それはヘンリー卿だということ。
ドリアンは「自分の若さと美貌がわが身を亡ぼした」みたいに最後言っているけれど、私は違うと思う。ヘンリー卿ですよ。
ドリアンは影響されやすい、ただの若者にすぎなかった。反省したり、後悔したり、自分の行為に怯えたりもしていて、大した悪人じゃない。
ヘンリー卿こそ悪魔と取引して、ドリアンを間違った方向に誘導する悪魔だったと思う。
ヘンリー卿さえいなければ、ドリアンは若くて美貌で、それなりにピュアで、大変チヤホヤされて、でも初恋では苦い思いをして破局して、人生に失望して、生命の不完全さや儚さを知って、でも友人には恵まれて、同性愛にも悩まされつつ、それなりに不幸でそれなりに幸福に死んでいけた気がする。
なので「誰をメンターとするか、誰を友人として選択するかの重要性」も、この作品のテーマのひとつなんじゃないかしら。
自戒を込めて。

