題名 スーパーマンⅢ/電子の要塞(Superman Ⅲ)
監督 リチャード・レスター
出演 クリストファー・リーヴ、リチャード・プライアー、アネット・オトゥール、マーゴット・キダー、ロバート・ヴォーン
上映時間 123分
制作年 1983年
制作国 アメリカ
クリストファー・リーヴ版スーパーマン・シリーズの第3作目。
今回はⅠ、Ⅱとは打って変わって、クラーク以外のメンツが大分違くて、悪役も違えば、なんとヒロインも違う。
見どころはクラークがロイス以外の女にふらふらとしてしまい、なんと手作りダイヤモンドの指輪までくれてやるという展開と、自分同士で大喧嘩するところ。
おバカな所はちゃんとおバカだけど、クラークの人生の闇をうかがい知る事が出来る、深い作品となっていた。
最高の朗報は、わたしの嫌いなマーゴット・キダー(ロイス・レイン役の)がヒロインではなかったので、彼女をあまり見なくて済んだこと。
でも私はロイスが嫌いなわけではないし(別段好きでもないけど)、やっぱりクラーク・ケントの恋人役と言えばロイス・レインだから、ややフクザツな心境になった。
そんなことより、クラーク・・・久しぶりに田舎に帰ったのはいいけど、それ浮気と違うの?
たまたま田舎に帰ったら初恋の人に会って、そしたらなんか向こうがやたらと自分に優しくしてくれるからついフラフラとした気持ちになってしまいました、・・・って感じじゃ、ないよね。最初っから、思いっきり口説く気満々に見えたけど。
これ浮気ですよね。
私の中ではクラーク・ケントといえば「オクテ」のイメージ。その正体はスーパーマンで、それはもうスーパーな活躍をするんだけど、そんなスーパー・ヒーローなくせにひたすら一途にロイスが好きで、なのにロイスはスーパーマンに夢中で、彼女はクラークがスーパーマンだとは知らないから恋愛対象として見てくれない。それでもロイスが好きで陰ながら見守っているという、そういうところが好きなのに。なんかがっかり。
しかし、今回の見どころは、決してクラークの浮気?ではなくて、もう一人の悪いスーパーマンが登場してしまうところ。
映画は相変わらずのコメディ・タッチで始まるし、要所要所で笑わせようとしてくるし、スーパーマンは相変わらずのナイス・ガイぶりを発揮して登場するけど、全編を通して見てみれば結構シリアスなテーマが隠されている。
スーパーマンは途中から、ガス・ゴーマンが用意した「クリプトナイトもどき」の影響を受けて、やさぐれた悪いスーパーマンになってしまう。
それが無精ひげなんか生やしてなかなかの顔つき。スーパーマンの衣装はいつもの水色+赤+黄色 という色使いだけど、悪いスーパーマンは 濃紺+どす黒い赤+汚れた黄色 とかなりダークな暗い色合いになっている(こっちの方がカッコいい)。
とはいえグレたスーパーマンがやっていることと言えば「ピサの斜塔をまっすぐにする」とか「オリンピックの聖火ランナーのトーチの火を吹き消す」とかで、割と中学生のいたずらレベル。
というか一番の問題は、「何もしなくなっちゃったところ」が問題なのだ。
事件が起こっても関心を見せず、無精ひげで目の下にクマなんかつくっちゃって、バーで飲んだくれているというやさぐれ感。これはいけません。
どうした、スーパーマン。
万年さわやか青年でも、実は内面奥深くにはいろいろと葛藤があって、「クリプトナイトもどき」の影響で本心がでちゃったのかしら。「正義の味方なんてやってらんねえよ」的な。
ガスの「クリプトナイトもどき」に触れたスーパーマンは、すっかり目的を失ってしまったかのように、バーで酒を飲みながらピーナッツを指ではじいて酒瓶を割っている。
故郷の星がはじけ飛び、この宇宙に同族のクリプトン星人が誰もいなくなってしまった今となっては、「なんで俺、こんなよくわかんない地球とかいう知らない星の正義を守ってなくっちゃいけないわけ? 恋をしても名乗り上げることも出来ない、しかも最初に善良なナイスガイで登場しちゃったからおっぱいのおっきな女を口説くこともできないし、ふざけんじゃないよ」という感じかしら。
そして今作のヒロインであるラナの幼い息子リッキーの「どうしたのスーパーマン! きっと病気なんだよ。早くよくなって!」という無邪気な声を聞き、苦しみながら空を飛び、雄たけびを上げる。
するとスーパーマンはまるでジキルとハイド的に人格が二つに分かれてしまって、悪いスーパーマンの中から善の象徴であるクラーク・ケントが分裂して、二人は大ゲンカ。そしてクラークが勝つ。
第一作目の感想で私はスーパーマンの孤独に触れて、でも映画からはそういった孤独感は感じられないと書いたけど、この三作目でその孤独が一気に噴き出した感じ。考えてみれば第二作目でも、結構あっさりとスーパーマンとしての役割を降りて、自分個人の幸せ(ロイスと一緒になること)を選択していた。
そっか。やっぱり心の内にはシリーズを通して、一貫した葛藤が渦巻いていたのかもしれないんだな(涙)。
その後自分を取り戻したスーパーマンは、悪者をやっつけたあとでブラックだった時の自分がやったことの後始末として、ピサの斜塔をまた斜めにしに行き、いつものように宇宙を飛び回るのだ(感動)。
最後の笑顔がさわやかでステキだったよ。顔で笑って心で泣くっていうやつよね(クラークったらほんと泣ける)。
蛇足として、悪役のロバート・ヴォーンは、前作までのジーン・ハックマンの存在感には足元にも及ばず。というのも、彼の会社のセットとか衣装とかがやたらとスタイリッシュで、それが仇となって破天荒さとかスケール感がなくなっている。おまけに考えてることも、せいぜい「市場を牛耳ろう」くらいでこじんまりとしてて、普通の悪人だった。それただのグローバル企業の社長じゃん。
その点レックス・ルーサーはお洒落でおバカ、そしてインチキ臭い。そこが魅力で、なにかデカいことをやってくれそうなスケール感があった。例えば ”うっかり” 地球を破壊しちゃうとか。うっかりやっちゃいそうなのよ。
それからちょっとだけ出てくるロイス・レインの髪型や化粧や服装なんかが、パートⅠ、パートⅡと比べるとかなり80年代風になっていて実に興味深かった。
映画のラストでは、クラークの初恋の人ラナがデイリー・プラネット編集長の秘書になっていて、しかもクラークから石炭を握って作った巨大ダイヤの指輪をもらっていたことを知ったロイスの、「だいぶ面白くない」っていう嫉妬心むき出しの顔で映画は終わっていて怖かった。
パートⅣはどうなるんだろう。ドロドロの三角関係になんて・・・ならないよね。なってもいいけど。