映画『聖衣(1953)』のデータ
題名 聖衣 (The Robe)
監督 ヘンリー・コスター
出演 リチャード・バートン、ジーン・シモンズ、ヴィクター・マチュア
上映時間 124分
制作年 1953年
制作国 アメリカ
映画『聖衣(1953)』の詳しいあらすじ
ローマ人よりも奴隷の方が多いと言われたチベリウス皇帝治世のローマ。堕落した生活を送る護民官マーセラスは双子の奴隷を買おうと奴隷市へ行き、幼馴染のダイアナと再会する。ダイアナは美しく成長しており、次期皇帝カリギュラの妃候補になっていた。マーセラスはカリギュラと競り合い、奴隷ディミトリアスを競り落とすが、当然カリギュラの不興を買いエルサレムに左遷となる。
ディミトリアスをつれてエルサレムへ就くと、エルサレムの民はまだ来ぬ救世主を心待ちにしていた。奇しくも白ロバに乗った男と、彼に群がる民衆たちの姿を目撃する。その男イエスと目が合ったディミトリアスは神の啓示にも似た感銘を受ける。
程なくピラト総督がイエスを捕らえるよう命令する。マーセラスは男を捕らえるため金貨8枚と銀貨を提供する。それを知ったディミトリアスはイエスに警告しようとするが、イエスはすでに捕らえられた後だった。マーセラスはピラトからイエスの処刑を命じられる。
十字架を背負ってゴルゴタの丘を目指すイエスを先導するマーセラス。十字架の重さに耐えかね、何度も倒れこむイエスの姿に思わず駆け寄ったディミトリアスは、ムチで打たれて気を失う。気が付くとすでに磔は終わっていた。
ディミトリアスが丘へ行くと、磔になったイエスの足元でマーセラスらローマ兵が賭け事に興じていた。彼らはイエスの足元に落ちていた、イエスが着ていた赤い毛織物まで賭けの対象にする。賭けに勝ったマーセラスが衣を手に入れると、天候が荒れ始め、イエスは絶命する。
その帰り道、マーセラスが衣をまとった途端、打ちのめされたように苦しみだす。マーセラスから衣をはぎ取ったディミトリアスは、イエスを殺したマーセラスとの決別を叫び、呪いの言葉を吐いて衣と共に立ち去る。
精神を病んだマーセラスは、磔になるイエスの幻にうなされるようになる。まずはダイアナの元に身を寄せるが、皇帝お抱えの医師に「衣を探して燃やせば呪いは消える」と忠告され、衣を持って消えたディミトリアスを追って旅に出る。
旅の途中、マーセラスはイエスの教えや奇跡の片鱗に触れるが、彼らの信仰を理解できない。イエスの弟子ペテロの元にディミトリアスがいると知り、衣を返すよう詰め寄るが、ディミトリアスが差し出す衣をマーセラスは怯えて受け取ることができない。ディミトリアスは「病の原因は呪いではなく、あなた自身の良心の呵責、罪悪感にある。自分の心と向き合いなさい」とマーセラスを諭す。
自分の内面と向き合い恐れを克服したマーセラス。イエスの最初の使徒でありながら信仰を貫けなかったと語るペテロの告白を聞き、マーセラスもイエスを磔にして殺したのは自分だと告白する。ペテロに許されたマーセラスは、キリスト教に回心する。
ローマに背いてキリスト教徒たちと行動を共にするマーセラスは、カリギュラより反逆者として追われるようになる。ディミトリアスが捕らえられ拷問にかけられていることを知ったマーセラスは、仲間と共にディミトリアスを奪還し、父のいる自宅へと運ぶ。
すでに心臓が止まっていたディミトリアスだが、ペテロの祈りで息を吹き返す。しかし父はマーセラスの信仰を理解できず、マーセラスは勘当されてしまう。しかしマーセラスを愛するダイアナは、マーセラスに従いキリスト教に回心する。
カリギュラはマーセラスを皇帝に対する大逆罪で裁こうとする。ダイアナも呼び出し自分のものにしようとするが、貴族たちの前で拒絶される。マーセラスの裁判が始まるが、マーセラスはイエスへの揺るがぬ信仰を宣言する。
死刑が決まったマーセラス。彼を愛するダイアナも行動を共にし、ふたりは手を取り合い処刑場に向かう。
映画『聖衣(1953)』の予告編
映画『聖衣(1953)』の感想
記念すべきハリウッドのシネマスコープ第1作目。
リチャード・バートンが20代後半には見えない(40歳くらいに見える)のはどうでもいいとして、物語の展開や理屈が強引だった気がする。
ヴィクター・マチュア演ずる奴隷のデメトリアスがイエスの姿を遠くから見て目が合っただけで、いきなりイエスへの信仰に目覚めるところも説得力ゼロだったし、
どうもリチャード・バートンというスターは、いつも寂しげというか、自信なさそうと言うか、困り眉でしょっぱい顔の二枚目俳優だから、そんな容貌も手伝ってか、聖衣におびえるリチャード・マートンが滑稽に見えた。
確かに私はキリスト教徒ではないし、日ごろからキリスト教的な諸々に色々”もやもや” としている人間ではある。
そのせいかどうか、バートン演ずるマーセラスがキリスト教に改心する過程が理解できなかったし、ラストにカリギュラに対してああまで頑なに信仰を貫く理由も分からなかった。
映画のポイントを要約すれば「キリストを殺した後、聖衣に触れて気が変になったマーセラスが、ただ勝手に罪の意識にさいなまれただけだったことに気が付いて正気を取り戻し、それをイエスが許してくれた!と思ってキリストを信じることにしました」という展開だけど、あれくらいのことでカリギュラに歯向かうほど信じ込めるものなのかしら。
「うっかり衣に呪われたと思ったけれど、ディミトリアスに言われてよく考えてみたら、確かにただ罪悪感にさいなまれていただけだったー。あー、なんだ呪われたのかと思っちゃった。危ない、危ない」と思って、フツーにローマに帰るでしょ、普通。
まあ宗教というものは信者以外にとっては屁理屈のオンパレードだとは思うけど、それを差っ引いても、私には強引に感じた。
それからラストでガリオとダイアナの二人がカリギュラに歯向かって、イエスへの信仰に生きる決意をしました、ハレルヤハレルヤってなるけれど、あんなに大勢の臣下たちの前で、大声できっぱり女からフラれてしまうなんて残酷すぎる。
ダイアナったら「こうなったら言わせてもらいますけど」とばかりにこう言っていた。
引用「あなたが治める国で生きたくありません。偉大なる皇帝の名をかたってほしくありません。あなたはその名を汚し、帝国を破滅に導くでしょう。皇帝どころか卑劣で不実で権力に酔う悪魔、皇帝の真似事をする怪物です」
と、ハキハキきっぱり言っていた。
ダイアナちゃん、容赦なさすぎ。わたしゃ「ひゃー」と震えたね。心なしか、啖呵を切るダイアナの隣に立つマーセラスも凍り付き、「マジで? おめえ、すげえな。こいつぁ大変なことになった」みたいな顔に見えた。女にここまでされちゃ、マーセラスも後には引けませんよ。
そして二人で立ち去る姿はまるで主役交代。マーセラスがダイアナを連れて、、、ではなく、ダイアナがマーセラスを率いているようにさえ見えた。
それにしても自分の臣下の前でこんな屈辱的なことされたら、そりゃあ残虐な王にもなりますよ。私がカリギュラの立場だったら、即兵をやって二人を皆殺しにすると思う。そしてみんなが私を嗤っている気がして、誰に対しても心を開けなくなると思う。
これについては、わたしゃカリギュラに同情したね。
結局、聖衣の存在もパッとしなかったし、何よりせっかく歴史物のスターであるヴィクター・マチュアが出てるというのに存在が中途半端で、ぜんぜん活躍しなかったのも納得できない。
そんなこんなで映画に夢中になれなかったので、「呪う神というのは、悪魔と何が違うのかしら」なんて思いながら見てしまった。