題名 最後の人 (Der Letzte Mann)
監督 F.W.ムルナウ
出演 エミール・ヤニングス、マリー・デルシャフト
上映時間 74分
制作年 1924年
制作国 ドイツ
モノクロ、サイレント
オープニングのわずか数秒が素晴らしく美しい。
降りるエレベーターの中からハンディカメラで撮影した、流れるような映像の美しさ、そこへエレベーターボーイが出てくる演出が美しすぎて感動。
物語の主人公は、ホテルで働く初老のドアマン。金ボタンや金モールもきらびやかな制服に誇りを持っているし、この仕事と制服のお陰で妻や近所の人たちの尊敬も勝ち得ている。
ところが年齢的なことが理由でトイレ掃除に異動させられてしまう。絶望する主人公。なんとか取り繕うも、姪の結婚式はごまかせたが、妻や近所の人にバレてしまう。
全てを失った主人公は絶望のあまり、ホテルのトイレの中でうなだれ、動けなくなる。
冒頭と最後に説明とかお断りみたいな字幕は入るけど、本編中に中間字幕は一切ない。でも分かりづらいところは全然なくて、映像と演技のみで、人生に打ちのめされていく主人公の苦悩が手に取るように伝わってくる。
ほんとに文字通り、手に取れそうなくらい伝わってくるの。
主人公を演じたエミール・ヤニングスは当代きっての名優だったらしい。コミカルさも交えつつ、老いと、自分の人生を自分でコントロール出来ない悲しみを演じきっていた。
もちろんこのサイレント初期に特有の、舞台俳優の大袈裟な演技なのだけど、私にはドアマンの悲しみがビシバシ伝わってきた。すごい演技。
監督のムルナウの演出もすばらしかった。
冒頭に書いたオープニング以外にも、主人公がホテルからドアマンの制服を盗んで飛び出し、罪の意識にさいなまれて逡巡するくだりは、まるで歌舞伎のよう。演技も演出も素晴らしかった。
主人公はドアマンでいられれば、ドアマンの制服を着てさえいれば胸を張って生きていかれる。言ってみればまあ、コスプレ的人生と言える。それを失えばただの貧乏な老人にすぎないのだから。
そして会社のランクや年収、肩書がすべてで、自分の人間的魅力で勝負することをおろそかにしている私たち現代人もやっぱりコスプレ的で、滑稽だし、悲しい。
あああ、他人ごとじゃねえなああ。社会人していて50も過ぎれば、このドアマンみたいな目にあったりする人、してる人、いるんじゃないかなあ。ていうか、私がそうなんだ。
自分に対してそれなりに胸を張れる仕事が出来てたつもりだったのに、会社の都合で取り上げられて、今じゃ何のやりがいもない閑職に追い込まれている私。
まったくこのドアマンみたいな心境。トイレに行って、彼を「よくやったね」と抱きしめてあげたい。つまりは自分を抱きしめてあげたい。私、よくやったよ。よく我慢してる。
この映画はもはや良くできた普遍的な寓話として昇華しているのだった。
だから最後の粋なはからいは余計。悲惨な物語は悲惨なままでいいよ。
妻の献身も、近所の人々の尊敬も、ドアマンという職業と金ボタンの制服があってこそ。それが現実なんだし、現実は厳しいんもんなんだから。