映画『レベルポイント(1979)』のデータ
題名 レベルポイント(over the edge)
監督 ジョナサン・カプラン
出演 マイケル・クレイマー、マット・ディロン、ヴィンセント・スパーノ、トム・ファーガス、パメラ・ルドウィッヒ
上映時間 95分
制作年 1979年
制作国 アメリカ
映画『レベルポイント(1979)』のあらすじ
1970年代のアメリカ、田舎の計画都市。ここでは荒野を切り開いた新興住宅が広がり、建設予定地が空き地のように広がっている。
そこで暮らす10代の少年少女たちは、大人が申し訳程度に作ったプレハブの娯楽センターしか行くところがない。そこは卓球台とコンピューターゲームくらいしかなくて退屈だし、おまけに「見守り」の名のもとにウザい大人がいつもいて、羽を伸ばすこともできない窮屈な場所だ。
外を歩けばパトカーがパトロールしているし、見渡す限りの空き地で隠れるところもなく、大人の目線から逃れられない。おまけに今度は門限が9時に設定されてしまった。
ありあまるエネルギーとフラストレーションで、彼らの非行は止まらない。大人たちは自分たちのことしか頭になく、子供たちの気持ちなどに思いがまわらない。
そこへ建設予定の工業団地の視察にテキサスの金持ちがやってくる。その日、大人たちは素行の悪い子供たちが目に入らないよう、娯楽センターを閉めて立ち入らせないようにする。
そして仲間の一人が警官に撃ち殺されたのをきっかけに子供たちの怒りが爆発。大人たちを学校に閉じ込め暴れまくる。
映画『レベルポイント(1979)』の予告編
映画『レベルポイント(1979)』の感想
この映画は、基本的には不良少年少女たちがグレて大暴れする青春映画なのだけれど、本質的には一種のディストピア映画、管理社会ものだと思う。
内容は、中産階級向けに作られた ”計画都市” で10代の子供たちが暴れて破壊行為を行うという映画で、1973年に実際に起きた事件を元に制作されたらしい。70年代はアメリカ中の ”計画都市” で、少年犯罪が多発して社会問題化していたのだとか。
この映画の舞台が ”計画都市” であるところがミソで、自然に発展した都市であれば、そこには大人の悪場所がある。例えばソープランドもあるし、キャバクラやホストクラブもある。
子供向けにはディスコとかゲーセンとかがある。そこへ行けば煙草を吸ってる子たちも、酒を飲んでる子供たちもいて、ちょっとした不健康と退廃がある。
そういう場所が、人間には必要な時があると思う(あるいはそういう場所が必要な人間がいると思う)。愛を感ずることができずにグレた気持ちになった子供たちや、競争に負けてやさぐれた大人たちのために、ほんのひと時現実を忘れる悪場所が。
でも計画都市は違う。きれいに区画された家々、広くて真っ直ぐの道路、人目を避ける路地もなく、すべてに光が当たって影もできない。映画では、中高生の子供たちが遊べる場所が、まるで市役所あたりが運営している市民センターみたいな施設だけで、大人の見守る中で、大人の許容範囲内のいたって健全な遊びしか準備されていない。
去勢された街に、去勢を強いる大人達。彼らは自分がしていることが子供たちの去勢なのだという自覚すらない。これで暴れる若者が出なかったらその文明は滅びたも同然。人間みんなが飼いならされた家畜じゃないはずだ。
そんな計画都市に引っ越してきてしまった子供たちの、不幸な、そして正当な要求が繰り広げられる物語なのだ。
・・・とはいえ、あまりにも暴れすぎではあった。
この映画の子供たちは、酒は飲むわ煙草は吸うわ大麻はやるわ、クスリの売買をやってるやつはいるは、セックスはするわ、大人と全然変わりなくてえげつない。そして大人たちを学校に閉じ込め、校舎を破壊し、車を破壊し、もうやりたい放題。まるで『マッドマックス(1979)』。警官のドーバーマンなんて死んじゃってましたけど・・・。
でも『マッドマックス』は設定が世紀末だけど、この映画は舞台が日常でこうまで暴れられると共感しきれず、「いくらなんでもやりすぎ」と思った。
だけど、「これは革命なのかもしれない」とも思った。
歴史の要所で繰り返される本当の革命は、権力者の圧政に対して、声なき力なき民衆が「いよいよ我慢の限界」となって「自らの生命と尊厳を賭けて」命がけで立ち上がり、あらゆる暴力行為を肯定して権力者を倒すことだと思うけど、この映画の題名「over the edge」も ”境界を超える” みたいな意味だし、この子供たちの動機と行動は実際そうだと言えばそうなのだった。
それでも映画はやっぱりやりすぎだったし、結局ラストは「ビミョー」な終わり方。
主人公カールが捕まって護送車で運ばれていく直前の父親とのシーンが、ジェームズ・ディーンの『理由なき反抗(1955)』みたいだった。
何ひとつ解決していないのに、諸悪の根源でもある父親の方だけが、勝手に理解あるいい大人みたいな顔して、子供の方は「お前なんもわかってねーな」みたいな顔しているという、そういう終わり方がそっくり。
暴動は上手くいったかもしれないけれど、目的を達したとは言えそうもない。70年代初頭、日本の学生運動とか暴走族活動とかも結局は「若者が暴れてただけ」みたいな結果に終わってしまった。
革命どころか、大人たちに理解してもらうのは難しいらしい。
ところで、割と脇役のマークを演じたヴィンセント・スパーノが、ちょっと出っ歯だけどファッションが似合っていて格好良かったんだよね。
そして私の10代の頃のアイドルであるマット・ディロンは、この作品でデビューした。マットは今作で空の拳銃を振り回して警官に射殺され、4年後の『アウトサイダー(1983)』でも空の拳銃を振り回して射殺されている。
※DVDはすでに廃盤。