
映画『泳ぐ人(1968)』のデータ
題名 泳ぐひと (The Swimmer)
監督 フランク・ペリー
原作 ジョン・チーバー「泳ぐ人」1964年
出演 バート・ランカスター
上映時間 95分
制作年 1968年
制作国 アメリカ
映画『泳ぐ人(1968)』のあらすじ
主人公は中年男のネッド・メリル。ある夏の日、裕福な郊外住宅地にある友人宅のプールを訪れたネッドは、「このあたりの家々のプールを順番に泳いで帰ろう」と思いつく。 ネッドはそのルートを “ルシンダ川”(妻の名前にちなんだ空想の川)と名付け、次々と隣人たちのプールを渡り歩いていく。
最初は陽気で自信に満ち、成功者のように振る舞っていたネッドだが、次第に自分を取り巻く世界が歪みだし、最後は地面にのめりこむような絶望感に打ちのめされる。
映画『泳ぐ人(1968)』の予告編
映画『泳ぐ人(1968)』の感想と考察
これは不条理すら感じさせる怪作にして傑作。主役で出ずっぱりのバート・ランカスターは最初から最後まで海パン一丁の衣装代いらず。このころ55歳くらい。
そして「難解な映画」としても知られている。私この映画大好き。
派手な展開は全くなく、ただただプールからプールへと泳ぐだけの作品なのに不思議と世界に引き込まれ、見終わった後も「これはどういう映画なんだろう」と、いつまでも頭から離れない。
一般によくある “難解映画” は、時系列がバラバラになっていたり、妄想が加わっていたり、“パズルのように難解であること” が主題になっていることが多い(『メメント(2000)』『マルホランド・ドライブ(2001)』など)。
でもこの作品はそういう難解さではなくて、言ってみれば “文学的難解さ” だと思う。
一人の男がプールとプールをつないで一直線に自宅まで向かっていくだけの、まさに直線的なストーリーだから、時系列は普通に流れていくし、妄想が入り乱れたりもしない。
それなのにラストに向かうにつれて混乱してくる。「ん? え? なんかへんだな」って。
そして「やっぱり!」という結末なのだが、その違和感の正体は説明されないので、「やっぱり!」と思った次の瞬間には「え、どういうこと?」と思うという、実に手の込んだ、変わったラストになっている。
私は不条理を感じた。
この映画を見て混乱する人は多いようで、ネットでも割と考察されている様子。
ではDVDのパッケージには何と書いてあるかと言うと、「上流階級の虚飾がはがれていく話」とあった。でも私はその解説にちょっと納得していない。
私はそんなに主語を大きくせず、もっと単純に「ネッドの虚飾がはがれていく物語」として見た。
ネッドはなんだか記憶がないのか、自分に都合の悪いことをなかったことにしているような、自分が思いたい最高の自分だけを本当の自分だと信じ込んでいるふしがある。
まずネッドは映画冒頭、颯爽と若々しく、友人達とも和気あいあいといった風で登場する。
だけど最初はともかく、途中からネッドはいろいろ怪しくなってくる。まずネッドが語る「妻と娘の話」というのが「妻は元気、娘はテニスをやっている」以上の情報が全く出てこない。何度妻と娘のことを聞かれても、ネッドは「妻は元気だ、娘はテニスをやっている」を繰り返すだけなので、徐々に「ほんとにいるの?」と思えてくる。
その上、ネッドと接する人々の表情や態度からも、「おや?」と思わせる仕組みになっている。このあたりはとても巧妙に仕掛けられていると思う。
ネッドは精神的に病んでいる男なんだろうか。ネッドは一体何者で、どこから来たの?
どうやらネッドは女であれば誰にでも優しいことを言うのが習慣になっている、根っからのプレイボーイ・タイプらしい。
ネッドは最初のプールであるダン家でダンの妻に歩み寄り、中年の彼女の足にキスをして「なんて美しいおみ足だ。お姫さま」と言ってのける。
そしてすでに現実の中にしかいない世俗的な存在となっている彼らに向かって空の美しさを語り、プールからプールへ渡り、泳ぎながら自宅へ帰ろう、そのルートを妻の名前をとってルシンダ河と名付けよう、などと言い出すロマンチストだ(たぶんもう50代半ばくらいと思われるのに)。
次のベティには「むかし君に恋してた」と心にもないことを冗談のように言えて、20歳のジュリーには足長おじさんのように「援助して君を守りたい」と言って口説く。
そしてジュリーと一緒に訪ねたバンカー家でも女を褒め、ビスワンダー家でも一見パッとしない女にすら「美しい髪だ」と褒め、かつて愛人だったシャーリーにはボロクソに言われてもまだ口説き続けるという、あっちでもこっちでも会う女会う女に歯が浮くようなことを言ってまわり、拒絶されると「きょとん」としている鈍感さ。
そのうえ周囲の人々との会話を聞いていると、金を持っているのは妻のルシンダの方で、ネッドは逆玉だったよう。出会いに関して「船で旅をしている時に自分は三等で、ルシンダは一等だった」と自分で言っているし、周りからは「財産は妻のもの」とか言われている。
どうもハンサムで押し出しの強い風貌と口の上手さで、逆玉に乗った感じがある。
そして職を世話してくれる友人がいて現在は無職らしいことが分かるし、ヌーディストの夫妻はネッドの姿を見て「金をせびられるんじゃないか」と思っているし、最後の公衆プールでは借金を返せと攻め立てられていた。
どうやら途中で何かがあって転落したらしい。それが何かは映画では具体的には語られていない。
ネッドには何かがあったのかもしれない。
でも現在のネッドの不幸の原因は、「なにか事件のような出来事」なんかよりも、彼が何にも分からないタイプの人間であることから来ていると、私には思われる。
おそらくネッドは女たちに嘘を言っている自覚は全くないだろう。その時その時、目の前にいる女に対して本気で「愛している」と思ってるんだろう。
でも目の前からいなくなれば忘れてしまう。忘れてしまうからこそ、別の女の前に立つと今度はその女に「愛している」と本気で言えるのだ。
彼自身はいつも本気だから、嘘ではない。けれど客観的に見れば、そういう人間をこそ「無責任」と呼ぶのだ。
ネッドは女関係だけでなく、何もかもを分かっていない。おそらく人間をぜんぜん理解できないタイプの男だ。
彼は友人と会うたびに次々と、自分がどういう人間であったのかを突き付けられて、自分が人生や人間関係に失敗していることを思い知らされるのだが、「ガーン! 俺ってそんな人間だったのか! なんて申し訳ないことを・・・自分が嫌になった。恥ずかしくて消えてしまいたい」という感じではなく、
ただただぼんやりと「なぜだ、なぜこんな風になってしまったんだろう・・・こんなはずじゃなかったのに・・・なぜだ?」としか思っていないように見える。
ラストの絶望も、後悔の嵐というよりは、「なぜなんだーーーー!」みたいに見える。
そんなんだから友人にも女にも「こいつなんも分かってないな」と見限られ、全てを失ってしまうのだ(子供たちが “二人とも女の子” という設定で、二人がネッドを小馬鹿にしていたらしいところもリアルだった)。
この映画のバート・ランカスターは実に上手い。
完璧のつもりだったネッドが、実は自分は失敗していたのだということを徐々に思い知らされていく物語。自分で自分のことが分からない男の物語。
しかも彼は裸なのだ。裸の王様。
ネッドは最初からメッキだった。そんなのとっくに剥がれ落ちているのに剥がれていないことにして生きてきた男の自己欺瞞が暴かれていき、それでもこの期に及んでまだ分からない男の、悲しくも割とありがちな物語として、私は見た。
そして、映画全体はまるで人生そのもののようだなとも思った。
太陽に照らされて希望に満ちた初夏の若者が、年を取ると秋めいてきて気温が下がり、様々な限界に打ちのめされ、最後はどしゃぶりの中「若い頃に思っていたより、自分はたいした人間じゃなかったな」と気づいていく物語。
悲しくて、「他人事ではないな」と思った。
【関連記事】バート・ランカスター出演作

![泳ぐひと [DVD] 泳ぐひと [DVD]](https://m.media-amazon.com/images/I/51tu3kpronL._SL500_.jpg)