映画『マジック・ボーイ(1982)』のデータ
題名 マジック・ボーイ (The Escape Artist)
監督 キャレブ・デシャネル
制作総指揮 フランシス・フォード・コッポラ
出演 グリフィン・オニール、ラウル・ジュリア、テリー・ガー
音楽 ジョルジュ・ドルリュー
上映時間 94分
制作年 1982年
制作会社 アメリカン・ゾエロトープ
制作国 アメリカ
映画『マジック・ボーイ(1982)』のあらすじ
天才マジシャンを父に持つ少年ダニー。父は自分の力を過信して犯罪に手を染め、投獄された留置所からの脱走に失敗し警官に射殺されていた。母親にも捨てられたダニーは祖母の家を抜け出して、やはりマジシャンをしている叔母夫婦の元に身を寄せる。
叔父は平凡なマジシャンだが、叔母には近い未来が見える霊感があった。ダニーは二人に自分のマジシャンとしての才能をひけらかすが、二人はダニーに父親と同じ傲慢さを感じ、真っ当に生きることを諭す。しかしマジシャンとして父親越えの野心を燃やすダニーの耳には届かない。
ある日ダニーはひょんなことから市長の息子ステュと出会う。ステュは市長にとってアキレス腱ともいうべきダメ息子だった。ダニーは、汚職まみれの父親の鼻を明かしてやりたいステュと結託し、父が失敗した同じ留置所からの脱出劇を企てる。
映画『マジック・ボーイ(1982)』の予告編
映画『マジック・ボーイ(1982)』の感想
「自信を失ったときは、黙って反対の方角を指さすのだ」
奇術師ハリー・ブラックストン
青春ドラマの隠れた佳作。私、この映画がほんとうに好きで好きで。「個人的超絶お気に入り10本」に入れると思う。
だけどネットで検索しても詳細はあまりよく出てこないので、たぶんヒットしなかったんだろう。なのにDVDになっているところをみると、観た人の郷愁を誘う作品なのかもしれない。
私は公開からだいぶ後にTVで放映されているのをたまたま見て、非常に気に入ったものの題名を覚えておらず、スター俳優も出ていないことから探すこともできず、一部の記憶だけを頼りに延々と探し続け、15年くらい前にDVDを店頭で見て「こ、こ、これでは!」と喜び勇んで購入したという思い出の作品。
10代とか20代とか若い頃に見て、薄い記憶だけで「あの映画すごく良かったなあ」と思う映画って、大人になってから見ると大したことない場合も多いけど、この作品に関しては改めて「ああ、やっぱり好きだなあ」と思った。
作品は静謐かつ哀愁のある、せつない気持ちにさせられる良作に仕上がっている。ハリウッド映画という感じは全くなく、ヨーロッパの映画みたい。監督のデシャネルがフランス人だからかもしれない。
映画に娯楽性はなく、ひたすらダニーの孤独が静かに感じられる。家庭的な愛情に恵まれず、しかし父親はダニーにとって偉大なあこがれの存在だから、そんな父親を憎むことも出来ない。ただひたむきに亡き父親の背中を追いかける。
同世代の友人や仲間はおらず、常に大人たちを相手にして、自分を一人前の大人と認めさせようと背伸びをする。しかも頭が切れて優秀だから、たいがいの大人は言い負かしてしまうあたりも益々孤独感が深まる。
ダニーの、自分の生い立ちや境遇、世の中や大人たちに対してちっとも恨みがましくない自立っぷりもせつない。
この映画は始まりから終わりまですべてのシーンが好きだけど、中でも特に
①ダニーの父親越えの演出
②ラストのダニーが立ち去っていく演出
この2点が本当にせつなくて美しくてすばらしい。
彼はラストで一人で歩いて立ち去るけど、きっと一人で逞しく生きていくんだろうな。格好いい男になってもらいたいもんだ。
「誰から見ても幸せになること」が人生最大の成功のような価値観が今の世の中は占めているけれど、ダニーが「誰から見ても幸せ」になるか私には分からない。
彼は絵に描いた様な小市民的な幸せになんかならなくてもいいと思う。私はそんなものよりも、自分の足で、納得のいく人生を歩んでもらいたいと、ダニーの後姿を見てつくづく思う。
残念ながら映画自体はコケたっぽいけど、制作には『地獄の黙示録(1979)』や『ゴッド・ファーザー(1972)』のフランシス・フォード・コッポラが関わっている。
スタジオはコッポラがジョージ・ルーカスと一緒に作ったアメリカン・ゾエロトープだし、主演のグリフィン・オニールはライアン・オニールの息子で、テイタム・オニールの弟なので、並ぶネーム・バリューが結構すごい。
この主役ダニーを演じたグリフィン・オニール。個人的に80年代はどんぴしゃなので、映画雑誌など結構読み漁っていたが、グリフィン・オニールの記憶は全くない。
ライアン・オニールの息子で、テイタム・オニールの弟とあれば少しは話題になっていても良さそうなのだが、私の記憶には全くない。そしてその後も大成することなく終わってしまったようだ。
グリフィンはハンサムではないにしろ、そばかすだらけで生意気そうで、いい顔してる。背伸びしている感じも可愛い。手品もちゃんと自分でやっていて、それが板についているので、後半の脱出劇や金庫破りのシーンなどに説得力を持たせている。グリフィンはダニーにぴったりの配役だった。
でもグリフィンは、暴れん坊の父親ライアン・オニールとの関係もうまく行っていなかったし、子供時代からジャンキーでアル中という、ハリウッドの子役の王道みたいな人生を歩んでしまった。
その後はグリフィンのゴシップ、というよりはライアンのゴシップで名前を見るだけになってしまう。残念なことだ。
製作総指揮にはフランシス・フォード・コッポラ。
コッポラが制作に関わっていると言っても監督でも制作でもなんでもなく、ただの「製作総指揮」。
でも80年代と言えば「製作総指揮スティーブン・スピルバーグ!」「製作総指揮ジョージ・ルーカス!」とかばっかりで、当時の私は「スピルバーグの新作映画なんだ!」と思ってた(幸せだった)。
そんな時代だったから、スピルバーグのような子供向け娯楽監督ではないにしても、コッポラだって超大監督なんだから「あの『地獄の黙示録』『ゴッド・ファーザー』のコッポラが贈る感動作!」みたいにしても良かったと思うんだけどね(そうしたけどヒットしなかったんだろうけど)。
コッポラといえば70年代のみならず、80年代も超有名監督で、監督する作品は話題作ばかりだった。『ランブル・フィッシュ(1983)』『アウトサイダー(1983)』は当時映画も観たし、スーザン・E・ヒントンの原作まで読んでいる。あのころマット・ディロンが私のアイドルだった。
でも実際はコッポラが輝きを失っていく時期でもあった。翌年の『コットンクラブ(1984)』はリチャード・ギアやダイアン・レインなどといった当時の若手スターが出ていて作品も宣伝も派手だったけど、立派にコケていた印象だった。
大作を次々モノにしてきたコッポラにとって、『ランブル・フィッシュ』や『アウトサイダー』は小品だし、そういう作風は向いていないのではないかと雑誌で書かれていた。
そんなコッポラにとって『コットンクラブ』の失敗は、当時10代だった私からみても「コッポラ、オワタ感」があった。
コッポラなあ・・・『地獄の黙示録』で大作は疲れたのかなあ。急速に小品化していったなあ。借金まみれになって、映画にお金をかけられなくなっていたのかなあ。何度も会社をつぶしてるし。だけど「え、また倒産?」と思わせながら、何度も復活もしてくるお方でもあった。
この『マジック・ボーイ』はそういった風にコッポラが勢いを失っていく、ちょうどその入口の作品でもあるのだった(製作総指揮だけど)。
結局、この作品に出ていた俳優で出世株だったのは、元々ブロードウェイで経験を積んでいた実力者、ラウル・ジュリアだけだった(バカ息子ステュ役)。
彼は翌年の1985年に『蜘蛛女のキス』を、1991年には『アダムス・ファミリー』を飛ばす。
こんな具合に熱く語りたいくらい心から愛している映画なのに、日本での扱いが低くて残念。DVD化してくれただけでもありがたいが、今では増版していないようでもう中古でしか手に入らない。
私はこの映画は音楽も好きで好きで、曲が流れる度に胸が熱くなって涙が出そうになる。映画の出だしから「ああ、いいな」と思うし、その後も「来てほしい時に来る感じ」が気持ちいい。
音楽がこれじゃなかったら、映画の印象もだいぶ違ってしまうだろうと思う。作曲は映画音楽の大作曲家ジョルジュ・ドルリュー。
だからずっとどうしてもサントラCDが欲しくて、でも探しても探しても廃版で、DVD同様なかなか買えなかった。だから輸入盤を買った。
でも今は再発されている様子。DVDは廃版のままで、サントラは再発されているところを見ると、やっぱりドルリューの力なのかな。
DVDも再発してほしい(持ってるけど)