ぱっとみ映画感想ブログ

1999年までの映画 特化型ブログです

ステラ・ダラス (1937)

 

 

題名 ステラ・ダラス (Stella Dallas)
監督 キング・ヴィダー
出演 バーバラ・スタンウィック、ジョン・ボールズ、アン・シャーリー
上映時間 106分
制作年 1937年
制作国 アメリカ

 

 

ステラはお金も学も教養もない工場労働者の家庭の出身。でも父や兄と同じ工場で働くちょっと毛並みの違う男ダラスが実は上流階級の男と知っていて、彼を落として玉の輿に乗ろうと計画している。

首尾よく玉の輿に乗ったステラはそれなりに享楽的な生活を送っていたが、一人娘のローレルが生まれてからはすっかり娘中心の生活に。そしてダラスとは人生観や気持ちのすれ違いが続き、ダラスのNY行きへの同行を拒否して別居生活がスタート。ステラはローレルに愛情のすべてを注ぐ。

その後ローレルも年頃になり、父親側の人脈とも交流を深め、上流階級の友人やボーイフレンドと親しくするようになっていた。

やがて自分の存在がローレルの未来にプラスにならないと気付いたステラは、娘の幸せを願い、自ら身を引く決意を固めるのだった。

 

 

よかったよ。いい映画だと思った。メロドラマ的な、かなりウェットな母子の愛情ドラマだし、いくつか欠点や難点もあるけれど、それを差っ引いてもいい映画だと思った。

このステラという女性は、上流階級へのあこがれを叶えるべく、ダラスという男に狙いを定めて計画的にしっかり落とす、なかなかの強者。

じゃあ嫌な女なのかというと、別にそうでもない。結婚後は早速豹変し、上流階級の優等生なダラスに退屈して、成金で品のない金持ちたちと楽しくダンスしちゃう割には、貞操観念はちゃんとしていて浮気なわけではない。ただ楽しいから一緒にいるだけで、一線を越えない自制心とバランス感覚がある。

酒を飲んで成金友達とつるんで騒いでいたと思ったら、娘が生まれた途端、すっかり娘中心の愛情深い母親になって娘を慈しむ。娘の為に手作りのドレスを縫ったりして、手間暇も惜しまない。

ところが一転、娘が幸せになるためには自分の存在が足かせになっているのではないかと悟った途端、あの手この手で娘を遠ざけ、最後はたぶん、もう二度と会わない覚悟なんでしょう?

長所と短所が混在していて、振り幅の大きい、魅力的な女性になっていたと思う。

 

このステラを演じたのがバーバラ・スタンウィックという女優。どうやら彼女は当時絶大な人気を誇る実力派美人女優だったらしく、この映画はその絶頂期に撮られた作品とのこと。実際、彼女はしっかり実力派女優していた。アカデミー主演女優賞ノミネートも納得の熱演。演技派なんじゃないかな。

出ずっぱりだし、ステラの個性もあって最初から最後まで印象的だけど、やはり最も印象に残るのは、娘の結婚式を遠くから見守る、最後の表情。

心が汚れている私は、彼女の最大の見せ場の表情を見て、「カットがかかるまで何分でもこの表情を維持するわよ!」みたいな女優魂を感じたよね。

 

ただ・・・このステラ役、彼女の個性に合っているかどうかは疑問があった。

ステラは、結婚相手がダラスじゃなければ、下町のおばちゃんといった感じになって、それなりに明るく楽しく幸せになったんじゃないかと思わせるキャラクター。

でもバーバラ・スタンウィックって、むしろ上流階級が似合う顔立ちだと思う。

私は彼女の映画は、『タイタニックの最期(1953)』だけ見たことがあるけれど、この時はヨーロッパの本物の貴族に嫁いでしまった、アメリカの金持ちの家柄出身という設定で、成金とはいえ金持ちの役だから、ルックスとの違和感は全くなかった。

でも今回は労働者階級の娘役で、「家柄の違いから来る価値観の相違に悩む役」という意味では共通しているけれど、なんかこう、見た感じとしっくりこなかったな。

 

一方、娘のフローリンを演じたのが、今回この映画を見ようと思ったきっかけのアン・シャーリー。

以前感想をあげた『周遊する蒸気船(1935)』でヒロインをやっていたアン・シャーリーが、可愛いけど、私には大根ぽく見えたのに、彼女がこの『ステラ・ダラス』でアカデミー助演女優賞にノミネートされていると知って、「それは失礼したかもしれない、確認しなきゃ」という動機だった。

 

結論から言うと、ノミネートはやりすぎだと思った。

可愛い以外に見せ場はあった。役柄は、労働者階級の母親と上流階級の父親の間に生まれて、両親の不和で母親と生活しているけれど、父親の愛情とお金もたっぷり注がれている、割と恵まれた種類の女の子、フローリン役。

性格は我儘とは程遠い、かなり善良で優等生な女の子で、育ちは悪いけれど愛情深い母親のことを愛している、とても健気な女の子。健康的で溌溂としていて可愛いし、気立てもいいし、欠点らしい欠点のない、女の子の鑑みたい。

 

最高の見せ場はなんと言っても、映画も終わり近くの汽車でのシーン。

品のないガラッパチな母親を友人に笑いものにされ、ショックだし、恥ずかしいし、母親を傷つけたくないしで居たたまれなくなったフローリンが、国へ帰ろうと我儘を言ってせっかく逃げてきたのに、その汽車に運悪くその友人らも乗っていて、そこでも「あの場違いなおばさんさー、フローリンの母親なんだってー、まじウケる~」みたいに喋っているのをステラ本人が聞いてしまう。

そこですべてを察したステラは、フローリンを気遣って、寝たふりをして聞こえなかったふりをする。

「お母さん、聞いちゃったかしら」と思うフローリンは、ステラが寝ているのを見てほっとして、ステラの頬にキスをするという、お互いがお互いを思いやりあっていて、美しい良いシーンだった。

 

友人や好きな男の子に自分の母親を笑われて恥ずかしい思いをした場合、「お母さん、なにその恰好!恥ずかしいからやめてよ!」なんて言って親子喧嘩をしたって良さそうなシチュエーションなんだが、フローリンはそういう女の子じゃないのね。

そんな、誰からも愛される女の子フローリンは、アン・シャーリーのイメージにぴったり。

 

とはいえ、アカデミー助演女優賞にノミネートされるような役でもなければ演技でもない。

私は、「人気あるし、よく頑張ってるから」みたいなご褒美ノミネートの口で、本気で取りに行く方のノミネートではないな、と思った。

 

毒舌ついでにもうひとつ。

フローリンは最高にいい子で、私も「なんていい子なんだろう」と好意的に思ったけれど、現実に目の前にいたら私はこの子、あんまり好きじゃないだろうね。何かこう、嘘くさい、薄っぺらい、うさん臭さを感じる。

あれだけ「お母さんを愛してるの!お母さんの為なら一生独身で、お母さんと一緒に生きていくわ!」みたいなことを言っていたくせに、意外とあっさり気持ちを切り替えて、上流階級側の生活に溶け込んで、しっかり嫁に行っていた。

いくら母親が、娘から嫌われようとしたり根回ししたり色々やっていたとはいえ、16歳にもなっているんだから、「お母さん、急に何か変だわ」とか、「お父さんとの間を取り持つ」とか、「お母さんを上流階級に馴染めるように介入する」とか、もっと積極的に行動したっていいじゃない。

なのにフローリンは、瞬間的に抵抗しただけで、その後はなんら葛藤もなく、するっと気持ちを切り替えてしまったように私には見えた。薄情だよ。

 

まあ、この映画はフローリンを描く映画ではなく、ステラの映画だから仕方なかったのかもしれないけど、子供のころから両親や親戚との葛藤を抱えて育ってきた私にとっては、フローリンはなんか物足りない、薄っぺらい女の子に感じた。

 

私は、ステラの方が自分自身に本気で取り組んでる感じがして、好きだったかな。