ぱっとみ映画感想ブログ

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M(1931)

 

 

 

 

 

映画『M』のデータ

題名 M (M – Eine Stadt sucht einen Mörder)
監督 フリッツ・ラング
制作 シーモア・ネザンベル
出演 ピーター・ローレ、オットー・ベルニッケ、グスタフ・グリュントゲンス
上映時間 109分
制作年 1931年
制作国 ドイツ

 

 

映画『M』のあらすじ

1930年のドイツ・ベルリンで連続少女殺害事件がおこる。警察が躍起になって犯人を探すが捜査は進まず、また新たな被害者がでてしまう。そのうえ、犯人による声明文が新聞に掲載され、警察の面目は丸つぶれだ。

警官が街にあふれ、思うように活動できないことに業を煮やした暗黒街の犯罪者たちは、浮浪者を使って犯人を捕まえようとする。一方、目の見えない風船売りの老人が、少女と共に風船を買いに来た男がいたことを覚えていた。なぜなら男はその時、口笛を吹いていたのだ。

その時と同じメロディーが、今また聞こえる。捜索をしていた若者が口笛を吹く男のあとをつけると、男は少女に菓子を買い与えている。若者は機転をきかせ、自分の手にチョークで大きな「M」の字を書き、男の肩を叩いて背広に「M」の字を写す。暗黒街の男と浮浪者たちは、その「M」を頼りに男を追い詰めていく。

とうとう捕まった犯人は、暗黒街の面々に取り囲まれ、疑似裁判にかけられる。正当な法の裁きを要求する犯人だったが、暗黒街の男たちは一笑に伏す。自分では制御できない恐怖と欲求、もう一人の自分が「やれ!」と叫ぶ。それを止められないと訴える犯人。弁護士役は「精神異常が認められれば法では裁けない」ことを主張するが、誰も納得しようしない。そこへ警察が踏み込み、男はかろうじてリンチを免れるのだった。

 

 

映画『M』の感想

サントラのない本作。流れる音楽は「口笛」。

SF映画の金字塔『メトロポリス(1927)』を撮影した監督フリッツ・ラング初のトーキー作品で、サイコ・サスペンスのはしりでもある。

そして私の推しのピーター・ローレが、まだ若かりし27歳で主演した出世作でもある。特徴的なギョロ目で、一度見たら忘れない顔だと思う。

 

この映画は、現在にも通じる社会の矛盾を示している。それは、精神異常が認められれば裁かれないというのはおかしいのではないか、というものだ。

リンチは絶対にいけないが、私はこの映画が問いかける疑問に共感する。

持って生まれた気質とか、育ってきた環境とか、それも同情するし理解できるけど、「やったものはやった」のだから、やった理由に大きな比重を置くのではなく、行為そのものに重きを置いて裁いてほしい。

どんなに「あー、わかるなー、そういう生い立ちじゃなー」と思っても、すでにそれをやった人間なんだし、またやるかもしれない人間が、牢屋に入らず普通に街を生きていると考えたら、社会不安が広がって結局は社会全体に悪影響を及ぼすと思う。

おまけに昨今は「あれも病気」「これも病気」と、どんどん病気認定の幅が広がって、もう訳が分からなくなっているじゃないか。

 

とはいえ私は死刑には反対で、「死刑にはせずに隔離するべき」と考えている。

平凡に生きている小市民にとって “迷惑なので永遠に隔離” という考え方を、私はする。正義とかそういうのではなくて、あくまでも「ものすごく迷惑だから」。

それが刑務所だろうが精神病院だろうが場所はどこでもいいから隔離。とにかく隔離。100年でも200年でも、行動や思想を改めないならずっと隔離。

そして死刑にはしないでずっと生かしておく。死刑にしたら、私たちも少しずつ殺人に加担していることになるから。

そういう風に考える私だから、この映画の特にラスト、犯罪者や娼婦たちがおこなう10分程度の擬似裁判の場面は、これらのテーマがぎゅっと詰まっていて、見ごたえがあった。

 

それを描く監督のフリッツ・ラングの演出もすごい。

全般を通してスリリングで目が離せない無駄のない演出なのだが、

映画中盤の、警察署の偉い人たちの会議と町の犯罪者のボスたちの密談が交錯しつつ、それぞれの思惑や活動方針が決まっていく場面はスピーディでスリリングだし、

BGMが全くない上に、ところどころ雑音すらない全くの無音になって、足音とか、町の喧騒とか、そういう雑踏の音までが「ふっ」と途絶える場面がしびれる。はっとする。

そしてその中でときおり流れる、犯人の口笛と、チンピラ達の口笛。

そこで思う。「あ、音楽がなかったんだな」って。

映画に音楽は必須ではないと言わんばかり。ラングはサイレント映画からのトーキー初監督ということで、音がないメリットと音が入るメリットを十分生かしての「口笛」という感じ。

 

そして私の推しで、ぱっと見「やべえやつ」なルックスのピーター・ローレの演技も必見。

登場してしばらくの「のぺっ」「ぽかん」としたやや呆けたような、冴えないけれども悪人にも見えない覇気のない若者が、

次第に追い詰められ、焦燥感でビクビクと怯えはじめ、そして最後の告白の、自分の中にはどうしようもない悪魔が住んでいて、それから逃れられない苦悩を告白するくだり。

全編が迫力満点の演技だった。

 

 

M(1931)

M(1931)

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