題名 レディホーク (Ladyhawke)
監督 リチャード・ドナー
出演 マシュー・ブロデリック、ルトガー・ハウアー、ミシェル・ファイファー
上映時間 121分
制作年 1985年
制作国 アメリカ
めちゃくちゃクズな司教から動物になる呪いをかけられてしまった騎士と伯爵令嬢と、それに巻き込まれたコソ泥が主役のファンタジー。戦いの場面は少なめ。定番のロール・プレイング・ゲームのような、絵にかいたような中世の世界が楽しめる。
騎士のナバールは、昼間は人間、夜はオオカミの姿。
伯爵令嬢イザボーは、昼間がタカで、夜だけ人間の姿。
いつもどちらかが動物の姿で、二人同時に人間に戻れる時間帯はない。夜明けと日没のほんの一瞬の間に、姿を変える相手が幻のように見える時がたまにあるだけ。見つめ合うことすら奇跡。
そんな二人の、悲しくもロマンティックなファンタジー。
演じるのはルトガー・ハウアーとミシェル・ファイファー。この二人の、なんとも独特な佇まいがいい雰囲気で、すばらしいキャスティングだと思う。
王道の、甘めの美男美女じゃなく、「万人向けじゃないよ」「子供に分かるかな」という感じの、渋くてシニカルな、深みのあるルックス。まじで格好いい。
打って変わって主人公のコソ泥 通称“ネズミ”役は、若きマシュー・ブロデリック。
主人公とはいえ、ぶっちゃけストーリーに関係しているわけでもなんでもない役で、愛し合う二人の悲劇的運命の、“目撃者”な役。いわゆる “狂言回し” という役どころ。
実際、メインとなる二人は “一日の半分をオオカミとタカな男女” という設定だから、目撃者がいないと回らない。二人を公平に描くために第三者を用いるのは妥当なことだと思う。
狂言回しとはいえ、マシューくんは出ずっぱりだし、初々しさもあってかなりいい。
実際、『ウォー・ゲーム(1983)』から『レディホーク』あたりのマシューくんは、まだあどけなさが残っていてとても可愛い。彼は童顔で、当時すでに20歳を過ぎているのに『ウォー・ゲーム』では高校生役で違和感なかったし、この『レディホーク』でもまだ10代な感じが漂っている。この後出た『フェリスはある朝突然に(1986)』でも高校生、そのあとの『飛べ!バージル/プロジェクトX(1987)』では大学生役だけど高校生の設定でも行けそうという、そんなルックス。
個人的にマシュー・ブロデリックは、この『レディホーク』の時が一番好き。可愛いだけでなく、「毛布に穴を開けて頭からかぶっただけ」みたいな衣装がなぜか好きで好きで。なんだか可愛いし、よく似合っているからだと思う。
しかしなあ、呪いにかけられた騎士とお姫様のラブ・ストーリーなんて、これが小説だったら私は絶対読めない。この手の作品が好きな方じゃない。「け、くだらん」と思ってしまう性質だ。
なのになぜこの映画は好きなのか。大人になってから徒然考えてみるに、それはたぶん、”レディホーク” の伯爵令嬢イザボーが、“短髪だったから” だと思う。
中世という時代設定、シチュエーション、伯爵令嬢という人物設定で “短髪” って、普通はしない。絶対に腰くらいまであるロングでしょう。だってお姫様なんだもん。
でもこのイザボーは短髪だった。その選択に私は、なにかこう、現代的な思想とか潮流を感じて、この映画を受け入れられるのだと思う(マシュー・ブロデリックが可愛いというのもあるが)。
しかし司教。お前。(怒り)
どうしてこう権力者は、自分とは全く不釣り合いな若くて美しい女を、力づくでもモノにしたいと思うんだろう。
若い女が好きなのはいいよ。勝手だから。でも、強引はいかん。普通に告白して普通にフラれろ。
大体、自分のことを露ほども好きじゃない女を手にいれたとして、それで嬉しいんだろうか。だって自分のことを好きじゃないんだよ。
力づくで愛を手に入れようとしても、結果は空しいだけだと思うがなあ!
ところで話は打って変わって、いかにロマンティック・ファンタジーと言えども、動物に変身した後、服ってどうしてるの? 人間に戻った時は真っ裸でしょう、どうしてるの? という現実的な視点は捨てきれない。
これがなんとナバールは、夜になる前にちゃんと服をぬいでいた。
そしてイザボーは翌朝用に服をちゃんと用意していた!
変身のベテランだもん、そこは見越して事前に準備するのが当たり前でしょ、と言わんばかり。あまりにも作品に溶けこんでいて、ちょっと気づかないほど自然に準備してた。
いやー、これにはびっくりしたな。