
- 映画『キング・オブ・キングス(1961)』のデータ
- 映画『キング・オブ・キングス(1961)のあらすじ
- 映画『キング・オブ・キングス(19651)の予告編
- 映画『キング・オブ・キングス(1961)の感想
- おまけ 映画『キング・オブ・キングス(19651)のプレミア
映画『キング・オブ・キングス(1961)』のデータ
題名 キング・オブ・キングス(King of Kings)
監督 ニコラス・レイ
出演 ジェフリー・ハンター、ロバート・ライアン、フランク・スリング、リップ・トーン、ハリー・ガーディノ、ロン・ランデル、オーソン・ウェルズ
上映時間 165分
制作年 1961年
制作国 アメリカ
映画『キング・オブ・キングス(1961)のあらすじ
紀元前のこと、ローマ帝国の将軍ピラトがユダヤに赴任してくる。ピラトは高圧的な統治を行い、ユダヤ人たちの反発を招く。中でも民族主義者バラバは、友人のユダと共にローマ軍にゲリラ戦を仕掛けるなど、命懸けの反乱を行っていた。一方ユダヤの人々は、ローマの圧政から自分たちを救ってくれる「メシア(救世主)」の到来を待ち望んでいた。
そんな中、ナザレの大工の子として育ったイエスが現れる。イエスは洗礼者ヨハネによってヨルダン川で洗礼を受け、人々の救済に乗り出す。イエスは人々に神の愛と赦しを説き、貧しい人々や病人に寄り添いながら奇跡を行い、多くの人々の支持を集めていく。その教えは「敵をも愛せ」「心の貧しい者は幸いである」といった、従来の価値観を覆すものだった。
イエスの人気が高まるにつれ、ユダヤ教の宗教指導者たちはイエスの存在は自分たちの権威を脅かす存在だと危機感を抱き、排除しようと企てる。
また、反逆者バラバの元を去りイエスの弟子となっていたイスカリオテのユダは、イエスがローマに対する政治的な解放者になることを期待していたが、イエスが武力ではなく愛と平和を説き続けることに失望してしまう。
イエスは弟子たちと共に過ごす中で、自らの運命を予感しつつも使命を受け入れる。そしてユダがとうとうイエスを裏切り、当局に引き渡してしまう。
捕らえられたイエスはユダヤ教指導者たちの裁きを受け、さらにローマ総督ピラトの前に連行される。ピラトはイエスに罪を見出せなかったが、民衆の圧力に屈して処刑を許可してしまう。
そしてイエスは十字架にかけられ、苦しみの中でなお人々の赦しを祈りながら息を引き取る。そしてイエスの復活が示唆され、彼の教えと存在が人々の中に生き続けることが強調されて映画は終わる。
映画『キング・オブ・キングス(19651)の予告編
映画『キング・オブ・キングス(1961)の感想
3時間近くあって、途中でインターミッション(幕間)が挟まるという、当時のスペクタクル映画の典型的な例。個人的にこういうインターミッションが入る超大作、大好き。
映画はエンタメとしてそれなりに面白くなるように脚色はされているけれど、イエス・キリストの生涯としては王道な描かれ方をしていると思う。奇をてらうことなく、私たちがイエス・キリストと聞いて思い浮かべるイメージ通りのキリスト像が見られる。
聖書やキリスト映画の初心者であれば、まずはこの作品から見て、その後「新解釈」的な作品を観るのがいいんじゃないかしら。
ざっと見て、私が「結構脚色されているな」と思ったのは、
① 反逆者バラバの存在。
映画では俄然重要人物みたいに登場してきて、特に前半は大活躍。イスカリオテのユダと友達みたいで、一緒になってローマ軍に歯向かい、石は投げるは槍は投げるわの戦闘を繰り広げる。
でも聖書だと別に対して大きな存在ではなかったと思う。全然印象にないし、ユダと友達だなんてことはなかったと思う。
② ユダについて。
聖書だとイエスを金で売るという裏切り者として出てきて有名だけれど、ユダがなぜイエスを裏切ったのかという点については、聖書では明らかにされていない。もちろんバラバの仲間でもなんでもない。
でも映画では、ユダヤ人の救世主としてイエスにもの凄く期待していて、バラバと袂を分かってまでイエスの弟子になったのに、イエスはローマと戦ってくれるどころか、「隣人を愛しなさい(隣人とはローマ人のこと)」とかなんとか言い出して、ユダの期待に応えてくれない。
ユダはそんなイエスが歯がゆくて、「イエスを追い詰めれば、さすがにキレてローマと戦う決意を固めるんじゃないか」と思って、ローマに密告しちゃった。
ところがイエスの愛は気合が入っていて、ローマに捕らえられて十字架に磔になっても戦う気にならず、それどころか血だらけになりながらも自分を磔にしたローマ人やユダヤ人たちの許しを請うという、筋金入りの”愛の人”だった。
つまりユダ的には、ユダヤのために良かれと思ってやった行動が裏目に出てしまったという、そんな動機付けがはっきりとなされていた。
おまけに最後は「大変なことをしてしまった」と思い詰めて首をくくって責任を取るという、まるで日本人みたいな行動にでて、結構人間味あふれるユダ像として描かれていた。
③ 洗礼者ヨハネについて。
確か聖書では、エホバはイエスの親戚だったと思うけれど、映画ではそういう気配はなかった。
④ ヘロデ王とサロメのくだり
確か聖書では、サロメが踊っているのを見て褒美をあげたくなったヘロデ王が、「なんかやるぞ、なにがいい」と聞くと、サロメは母親のヘロディアに相談して、ヘロディアが「ヨハネの首を銀のお盆に乗せて持ってこさせろ。あいつムカつく」と言ったのでそれを願った、という流れだったと思う。つまりあんまり主体性がない。
でも映画のサロメはもっと性質が悪くて、いつもいやらしい目で自分を見つめている継父のヘロデと、それに嫉妬している母親ヘロディアの二人を面白がっていて、あえて誘惑的なダンスを踊って見せつけるような、現代的な女性として描かれている。
さらに、「なんでも欲しいものをやる」と言ってしまったヘロデを困らせるため、わざと無理難題の「ヨハネの首」を願うという性質の悪さ。
小悪魔どころか、なかなか悪魔な描かれ方。
一方、イエス自身はそれほど大きな変更点はなくて、まあほぼイメージ通りといった描かれ方だったと思う。
強いて上げれば、演じたジェフリー・ハンターが、腹に一物持ってそうな、割と野心家の表情をしていたのが気になったくらい。
私の中のイエス像は、もっとフラットで無欲な、ピュアな顔つきをイメージしているので、そこがやや引っかかったかな。
でもユダの解釈はいいと思う。私は天邪鬼なので、悪者と言われれば「いや、実はそうじゃなかったんじゃないか」などと邪推するのが好きなので、このユダの解釈は良かった。面白かった。
ところで、今回ヘロデ王を演じたフランク・スリング。どっかで見たなと思ったら、なんと『ベン・ハー (1959年)』でのピラト役だった。
ピラトとヘロデの両方をやるなんて、結構ラッキーだったんじゃないかしら。
おまけ 映画『キング・オブ・キングス(19651)のプレミア
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